日曜

 

 

 

どんど焼き。

 

その後、用事を済ませて造形物を進める。

なんとなく終わりに近いような怖さがある

そのままハイになっていってしまえばいいというわけではない

揺れは小さくなってきていると思う。

カーカー とカラスの鳴き声が聞こえる

 

 

 

 

New year

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

 

年の瀬

 

 

 

大掃除を終えました。

今年も地味だが大変な1年だった。

でもいいこともたくさんあったし、

何より日々制作できることに感謝です。

良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

長野2

 

 

 

二日目は、茅野市神長官守矢史料館に行ってきました。

設計は藤森照信。故郷の縁が生んだデビュー作のようです。

 

稲作現代 量産や、統治と祭祀の歴史

建築と共に、内容も一日目に通じるようで よかったなあ

茶室が浮かんでますね。

 

諏訪湖を眺めながらドライブ

制作がんばろう。

 

諏訪大社を参詣して帰路につきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長野

 

 

 

11月 長野県に親族で旅行に行って参りました。

妻方の父の憧れ。縄文

向かったのは茅野市にある尖石縄文考古館。

 

八ヶ岳山麓の豊かな自然を舞台に、今から約5000年の昔、縄文文化が繁栄。

1986年に土偶(縄文のビーナス)、2000年に土偶(仮面の女神)が発掘される。

今回は残念ながら、他の展示に貸し出し中ということで複製でしたが

ずいぶん前に東京で見たとき、素朴という言葉は使えない、

高次元な精神性を感じたことを思い出しました。

 

発掘された出土品や、資料を眺めていると、

造形や模様、キャラクターの要素を 引用したり再構成したりして、

みんなでイメージを共有して造形を楽しんでいる様にもみえる。

 

八ヶ岳があり諏訪湖があり、広大な畑や紅葉に満ちる広葉樹。

土偶というイメージを通して、もりもりとした、ふくよかな風土を感じた。

こんなイメージと生きた人間のことを思う。

 

 

下の写真の縄文のーナスは、

上から見ると鍋のような冠のてっぺんに、ぐるぐるのアンテナの様なものがあって、

そういうところが気になるところ。

 

その後、尖石温泉 縄文の湯へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Contemporary Woodwork

 

 

 

以前、木工家の集まりでいただいた資料

James Krenov(ジェームズ・クレノフ)、David Pye(デイビット・パイ)と、

John Makepeace(ジョン・メイクピース)、Wendell Castle(ウェンデル・キャッスル)を比較するもの。

現代木工芸といっても少し昔のテキストではあるが、デイビット・パイという木工芸家を知れて良かった。

デザインの研究者で教授でありながら、工業製品が失った工芸的クオリティそのものを探求する製作活動をしていた。

異端のクレノフからも尊敬されていたらしく、濃密で興味深い造形をしている。

 

 

 

5

 

 

 

オブジェクト5スタートしています。

家具でなくても 機能不全でも対象は多分ある

つくるとまたなんか生まれそう

 

言葉は進むのが早い 素材はついていけない

なんにもない つくるつくる

 

 

 

ささま国際陶芸祭

 

 

 

みてみたい作家がいて、笹間(島田市川根町)で行われている陶芸祭に行ってきました。

アイルランドの陶芸家 SARA FLYNN(サラフリン)

一見スッキリとしているが、イメージしていたより多くのレイヤーがあり

かなり複雑な形を閉じ込めていました。

その他にもいい作品が何点かあり勇気をもらいました。

木工も多様な表現を見たいですね。

家具でも 土や器的なものでなくても、美術造形的な対象はあるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瓜系のフォルムすき。

コーヒーが美味しい季節になりました。 

 

基本的には図面通りだけど、ここだという所は立ち止まる。

良い物になりそうな気がする

空気が乾いてきて 繊細な音楽が聴きたくなる

電子音楽は 感情というより 脳の電波とリンクしてる

 

 

 

 

栃 と 欅

 

 

 

4LEGSができて そういえば おもしろいけど使えなかったあの木、

このフォルムならいけると思い出した材がありました。

 

リートフェルトを見た時から そして倉俣やソットサスに魅了された原点

まず ぼくにとって家具は、生活というよりは遊びだったんだ と近頃思う。